清水寺の本堂。この舞台には釘が全く使用されていません。
山号は音羽山です。本尊は千手観音、開基は延鎮上人です。宗派はかつて興福寺の末寺だったので、法相宗に属したが現在は独立して北法相宗大本山を名乗っています。中世には西国三十三箇所観音霊場の第16番札所になりました。世界遺産にも登録されています。開創は奈良時代の末、宝亀9年(778年)と言われています。 大和の僧賢心(のちの延鎮)が霊夢をうけ、出会った行叡という老人の言葉に従って、千手観音像を彫作して滝の近くの庵で修行をしました。
その後坂上田村麻呂がこの地を訪れて、賢心と共に寺を建てて千手観音を祀ったのが、おこりといわれています。延暦24年(805年)に坂上田村麻呂が寺地を賜り勅願寺になり、弘仁元年(810年)、嵯峨天皇の勅許を得て鎮護国家の道場となり、この頃に本格的な寺観が整ったようです。また当初は北観音寺と称していました。
仁王門は勾配がきつく、登るのに息が上がる。
清水寺は京都のトップクラスの観光名所ですが、平安時代から人気があったようで、清水寺へ詣でるのに、鴨川に架けられた五条大橋(現在の松原橋)は平安時代後期には清水寺橋と呼ばれていたようです。また修理も含め橋の管理を清水寺が行っていた様で、修理や管理のための費用をまかなうのに、橋銭を徴収していました。
「普門閣」の扁額を掲げる轟門。この向こうに参拝の受付がある。
清水寺に向かう急な坂道の参道を歩くと、清水寺の入り口である仁王門があります。仁王門の前の階段は勾配がきつく、少し息が上がります。この門は応仁の乱で一旦焼失しましたが、15世紀末に再建され、平成15年(2003年)に解体修理され、現在は丹塗りの鮮やかな彩色が施されています。昔ながらの丹塗りで“赤門”と呼ばれ、正面軒下に藤原行成の筆と伝えられる「清水寺」の偏額が掲げられていて、両脇間に大仁王像が祀られています。
経堂には一切経を宝蔵して、
堂内には釈迦三尊像を祀られています。
仁王門を過ぎると、西門・経堂・田村堂・朝倉堂・本堂があります。経堂は本堂と同じ寛永10年(1633年)に再建されました。一切経を宝蔵して、堂内には釈迦三尊像を祀られています。正面五間、側面四間の一重、本瓦葺き、入母屋造りで、平成12年(2000年)に解体修理され落慶法要が行われました。田村堂は通称で本来は開山堂です。ここには清水寺創建に携わった坂上田村麻呂と延鎮が祀ってあります。ここも寛永10年(1633年)に再建されました。朝倉堂も通称で、本来は法華三昧堂です。朝倉堂の由来は、越前の守護大名・朝倉貞景が、永正7年(1510年)に寄進したことによります。堂内中央の宝形造り唐様厨子内に千手観音ら三尊を祀ってあり、江戸時代の初期に再建されました。
江戸時代には清水の舞台から、
飛び降り事件が起きたりもしました。
この寺の最大の見所は、何と言っても本堂です。この建物は寛永10年(1633年)に徳川家光の寄進により平安時代の様式で、再建されました。堂内は丸柱の列によって外陣(礼堂)と内陣・内々陣の3部屋に分かれていて、最奥にある内々陣の須弥壇上の三基の厨子内に本尊千手観音と脇侍の地蔵菩薩・毘沙門天が祀られてます。寄棟造、檜皮葺の寝殿風建物で長大な柱(139本という)が「舞台」と呼ばれるせり出し部分を支えています。この舞台には釘が全く使用されていません。江戸時代にはここから男女の心中事件が起きたりもしました。ここからは京都市内が一望でき、京都市民でも何度も登ってみたくなります。
子安の塔の周囲には柵があり、近づく事は出来ません。
本堂を過ぎて歩くと、阿弥陀堂・奥の院・子安の塔があります。子安の塔は子安観音(千手観音)を祀り、名前の通り安産を祈願する建物です。他の建物同様、江戸時代の初期に再建されましたが、子安の塔はなぜか他の建物の比べて傷みがひどく、少し残念な感じがします。
音羽の滝に賽銭を投げ入れる人もいます。
本堂東側の石段を下りた先には寺名の由来でもある名水が3本の筧から流れ落ちており、音羽の滝と呼ばれています。とても美味しい水で、近所に住んでいる方は、この水を自宅に持ち帰って、お茶を煎れたりする方もいます。本来は滝行を行う修行の場で、開祖の延鎮もここで滝行を行っていました。
〒605-0862 京都市東山区清水1-294
TEL:0075-551-1234
京阪電車五条駅より徒歩25分
専用駐車場はありません。
拝観料金 : 参拝無料
神苑拝観料 : 大人300円 小人200円
ホームページ : http://www.kiyomizudera.or.jp