観音殿は間近に見る事が出来る
銀閣寺の歴史一般には銀閣寺の名で知られていますが、正式名称は慈照寺。山号は東山。開基は、室町幕府8代将軍の足利義政、開山は夢窓疎石とされている。臨済宗相国寺派の寺で、相国寺の境外塔頭です。銀閣の室町時代の名称は観音殿(かんのんでん)です。銀閣寺が建っている土地は、平安時代には浄土寺のあったところであり、近代以降も左京区浄土寺の地名が残っています。
室町幕府8代将軍足利義政は、1473年(文明5年)、嗣子足利義尚に将軍職を譲り、 1482年(文明14年)から、山荘としての東山殿の造営を始めました。まず、常御所が完成すると、義政は早速引っ越しをします。そえれから持仏堂としての東求堂を立て、次に会所、泉殿が完成します。その次には念願の観音殿を建てています。しかし義政は観音殿の完成を見ることなく、死んでしまいます。東山殿は義政の遺言により、禅寺に改められます。義政の法名の慈照院殿を取り、慈照寺と名付けられました。そのときに住持に選んだのが相国寺の僧だったので、それで今でも銀閣寺は相国寺の末寺になっています。
方丈は有名寺院にしては小振りな建物
銀閣(観音殿)は義政の宗教観を託し、一層を心空殿、二層を潮音閣と命名しました。心空殿には奥の間に千体地蔵像が祀られ、潮音閣には観音像が安置されています。銀閣の呼び名は、近年になってから付けられたようです。実際漆塗りになっていて、銀箔が貼られた形跡はありません。しかし一説には漆を塗ったのは、銀箔を貼るための糊代わり、とも言われています。
東求堂は入母屋造檜皮葺の小堂。
向月台の制作目的は分かっていない
東求堂は入母屋造檜皮葺の小堂で、仏間には本尊の阿弥陀如来像が安置されています。書院は同仁斎と呼ばれ、違い棚を設けるなど、現代日本建築に大きく影響を与えた。庭の製作には善阿弥一族が関わり、夢想疎石が作った西芳寺(苔寺)がモデルと言われています。方丈は小振りな建物で、正面にかかる額には「東山水上行」と書かれています方丈前には砂を波形に盛り上げた銀沙灘と円錐型の向月台があります。向月台の上に座って東山に昇る月を眺めたと言われていますが、現在のような形になったのは江戸後期になってからです。
銀閣寺の寺域は有名な割りには小さく、ゆっくり見て廻っても短い時間で済みます。しかし寺内はよく整備されていてとても美しく、総門から受付に向かう生垣もとても綺麗です。本来は防衛のために造られたものようですが、今はそのような雰囲気はありません。銀閣寺道から総門まできれいな石畳が続いていて、歩いていてとても気持ちが良かったです。また拝観ルートには少し小高い山に登る事ができ、そこからは銀閣寺山内が一望できて、寺内が鳥瞰できました。ただ、参詣道幅は狭く、有名な寺院なので途中で立ち止まって拝観しようとすると、他の参拝客とぶつかってしまいます。ゆっくり見たいのなら、観光シーズンを外した方が良いかもしれません。
門前町と受付の間にある生垣はよく整備されて美しい。
〒606-8402 京都市左京区銀閣寺町2
TEL :075-771-5725
市バス「銀閣寺道」下車徒歩5分
参拝志納料 : 大人・高校生500円 小・中学生300円 (団体の扱いはありません。)
その他詳しくはホームページをご覧下さい。
ホームページ : http://www.shokoku-ji.or.jp/ginkakuji/